実録?百物語

23、樹の下

text by 網屋徹

以前、仕事でつきあいのあったAMさんから教えてもらった話。AMさんは、おばあさんからの隔世遺伝で、現世で見てはいけないものを見たり、感じたりすることがままあるそうだ(この手の「感」は隔世遺伝するという法則があるらしい)。これは、そんな体験談の一つ。

都心にある病院の裏手に、戦前に建てられたその病院の研究室がある。見た目も古く、建築マニアの間では評価の高いステキな建物なのだが、AMさんはその前をクルマで通るたびに、何か嫌な感じがして落ち着かなかったそうだ。

ある夏の夜、そんな話を知り合いの編集者としてたら、じゃあ試しに行ってみようか、ということになり、2人してクルマで出かけた。

時間は夜の10時半。ものの10分ほどで現場に着き、離れたところにクルマを止めて、その病院の研究室の前に行ってみると、夏なのに寒気がして、どうにもこうにも嫌な気分になってきたらしい。同行していた編集者は、平然としてバシャバシャとフラッシュを焚いて写真を撮っている。

そうこうしているうちに、AMさんには、その嫌な気分の原因がハッキリわかってしまった。

研究室の正門の両側に、ものすごく大きな杉の樹が立ち並んでいるのだが、その辺りには明りも何もなく、真っ暗な闇が作られている。にも関わらず、門の左側の樹の下に、誰かがいるのが見えた。おや、と思ってよく見ると、暗くてハッキリとしないが、間違いなく誰かが立っていて、嫌な気配はその辺りから漂ってくる。AMさんは編集者の袖を引っ張り、あそこに誰かいる、と教えた。

距離にしておよそ50メートル。暗いとは言え、見えない距離ではない。しかし、編集者には見えないらしく、気のせいじゃないですか、と言っている。

明りもなく、大きな木の陰だというのに、AMさんにだけは見えている。茶色っぽい服を着て横を向いている男、年輩のようだ。

その男が突然こちらを向き、ニヤッと笑った。AMさんはビックリして叫んでしまった。樹下の暗いところ、しかも50メートルも離れているのに、そこにいる人がこっちを見てニヤリと笑ったのがわかったのだ。

一緒にいた編集者がAMさんの腕を掴んで、今確かにあそこに誰かいましたね、と小さいな声で言った。

束の間の沈黙。AMさんの「帰ろうか…」の一言で、後ろも見ずにクルマまで戻った。

同行した編集者がその時撮ったフィルムは、今も現像しないで持っているらしい。編集者は現像に出したくないと言っているそうだが、AMさんもその意見に賛成らしい。

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